25歳社畜の僕が、それでもブログを書き続ける3つの理由
サラリーマン。特に社畜と呼ばれる働き方をしてる僕が、毎日ブログを書き続けることは非常に難易度が高いことである。
平日は朝8時に起き、22時過ぎぐらいまでは平気で働いている。家に帰ると時刻は23時。風呂に入り、ビールを飲んで横たわり映画を見て就寝。気づいたら朝を迎える。おかげでせいうちのような体型を手に入れた。
日々の仕事に忙殺されると心にも余裕が無くなり、人に役に立つことを発信し続けることは難しくなってくる。
社会人たるもの、日々のインプットも大切になるのでブログを書くことの優先順位は、本来は圧倒的に低いのだ。
ただ僕は、それでも書き続けることにしている。
"普通のサラリーマン"に憧れはないからである。
そこそこに出世をし、小金持ちになり、30年ローンで家を購入し、来るべき老後のためにせっせと働く。そんな生活に憧れはない。
ただのサラリーマンで一生を終えるのはあまりにもったいないと思ってる。
だけどそのサラリーマンである今、会社を辞めて起業をするほどの野心はないし、田舎に引っ越しをしてワークライフバランスを声高に謳うつもりもない。
王道は行きつつも小道はずらす。これがいいのである。だから僕はブログを書く。
ブログが将来、なんのためにになるかは分からないが、ブログを書くと3つの良いことがある。
自分の考えを社会に飲まれず保てるから
1番はこれかもしれない。
新卒1年目の頃は、何も考えずに前のめりに働き、泥臭くあり続けることが正しいと思っていた。どれだけしんどかろうが、朝起きて出社する。その繰り返しだった。今は仕事だけ頑張る時期と錯覚していた。昔の友人とも会う機会は少なくなり、口から出てくるのは会社と上司の愚痴。変わりたいなかで変われず、違いたいなかで違えず、変わり映えのしない日常にハマりこんで、腹は出るし、年は暮れるし。このままだと一瞬でイケてないおっさんになると確信をした。
「アーティストを目指している」
「会社を辞めて世界をみてくる」
働いていると色んな人との出会いがあるが、夢を追いかけて走っている人達をどこかで小バカにし、自分自身で青臭いことを言う機会もどんどん減っていった。ただのジェラシーである。物事に距離を置いて笑う人間と夢を追いかけ笑われる人間。どちらが人生を楽しんでいるかは明らかである。
本来はどっちの自分でいたいのか。文章を書くというアウトプットは、自分の正直な声であり、自分を客観的にみて人生を考えるきっかけをくれる。だから僕はブログを書く。
ブログのポテンシャルの高さと人生の選択肢を知ったから
ブログは、色んな可能性を秘めている。
「自分の趣味が多くの人の役に立つこと」
「読者が増えれば、お金を稼ぐ手段になること」
「見ず知らずの面白い方とコミュニケーションがとれること」
「取材されたり講演を依頼されたり、本の執筆というきっかけになること」
…
可能性は無限大である。